蘇える金狼のテーマ曲を歌う前野曜子とは? どんな人物?

蘇る金狼のテーマ曲を歌う前野曜子とは? どんな人物?

1964年に原作小説が発売された『蘇える金狼』は、1979年に劇場公開され、1999年にはドラマも放送され、SMAPの香取慎吾が主演を務めたことで有名となりましたがこれは私の中では蘇える金狼だと認定していません笑。

平均視聴率15%を獲得して人気が高かったのですが、様々な理由でDVD化されなかったり、再放送されなかったりと、今では幻の作品となっています。 かえってこれでよかったと思います。あれは、蘇える金狼ではありません。決して批判とかではありません笑

 

今回は『蘇える金狼』のテーマ曲がどんなものなのか、そしてテーマ曲を歌う前野曜子がどんな人物なのかについて紹介します。 

【蘇る金狼】テーマ曲について

『蘇る金狼』のテーマ曲は「蘇える金狼のテーマ」という曲で、歌手を前野曜子が務め、作曲をケーシー・ランキン、作詞を浅野裕子が手がけました

この曲が『蘇える金狼』のサウンドトラックCDに収録されていなかったため、当時この曲が欲しいけどどうしたら手に入るのかと困惑していた方も多かったのですが、長い時を経て2011年にようやく前野曜子のCDに収録されて、音源を手に入れられるようになりました。



【蘇える金狼】テーマ曲を歌う前野曜子の人物像

『蘇る金狼』のテーマ曲である「蘇る金狼のテーマ」を歌う前野曜子は、1948年に東京都の中央区銀座に生まれ、川村高等学校に進学するも中退。

宝塚への道を目指して宝塚音楽学校に進み、1967年に第53期生として入団が決まりました

この時の芸名は弓千晶で、1968年10月30日に宝塚歌劇団を退団しました。

 

宝塚時代に知り合った亀渕友香とディスコ「赤坂ムゲン」とともに、上野義美がプロデュースしていたリッキー&960ポンドに参加して音楽活動を始めました

 

1969年に「ワッハッハ」がヒットを記録し、1971年にはリッキー&960ポンドと同じ事務所に所属するペドロ&カプリシャスにボーカルとして参加して同年10月に発売した「別れの朝」が大ヒットを記録しました

この時、西丘有里という名義で活動していました。

 

体調不良で一時活動を休止したものの、本村俊雄をリーダーとするバンド・マスカレードにて歌手活動を再開し、1976年にリッキー&960ポンドに復帰しました

そこで3年間音楽活動を続けた後再び脱退しました。

 

それから1979年に「蘇る金狼のテーマ曲」を歌い、それを皮切りに『野獣死すべし』に出演したり、『スペースコブラ』のテーマ曲を歌ったり、自身でバンドを組んだりと精力的に活動を続けていきました。

 

その頃から体調を崩すことが増え、次第にアルコール依存症が深刻化し、1988年7月31日に心不全で死去しました。

その事実はずっと表向きには隠されていて、それから3年後に『女性自身』で初めて報じられました。



まとめ

小泉がトンネル会社を利用して金をかきあつめ、会社を食い物にしようと企む様子を垣間見た朝倉哲也が、自らも金稼ぎのために動き出し、彼らの隙を突いて妨害し、自身の狙いを達成すしようと奮闘するハードボイルド作品『蘇る金狼』。初めて鑑賞したとき衝撃とかっこよさを今でも鮮明に覚えています笑

 

こちらの作品の主題歌「蘇える金狼のテーマ曲」を担当した前野曜子は、元々は宝塚歌劇団に所属しており、そこで鍛えた歌唱力を活かして音楽の道に進み始め、リッキー&960ポンドやペドロ&カプリシャス、マスカレード、さらには個人名義と様々な形で音楽活動を続け、約20年の間多くの国民に向けて自身にできる音楽を届けてきました。この歌声をきくとなんともいえなくなり引き込まれていきますよね。

 

今回の記事を通じて前野曜子のことを知ったという方は、彼女の曲を色々と聴いてみてください。

また、彼女が楽曲を担当した作品である『蘇える金狼』も注目していきたいポイントもたくさんあるので、DVDを買ったり、ストリーミング配信で一度視聴してみてください。松田優作のかっこよさが充分に伝わると思います。

 

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